Mr.Mountain’s blog

140字以上でまとめたい時用

初音ミクとバーチャルライブ研究会に人生を救われた話

お久しぶりです。

 

初めての方はどうもはじめまして。Mr.Mountainと申します。

今年の3月、無事(?)に電気通信大学を卒業し現在は通信系の会社で社会人1年生をやっています。

 

卒業した私がなにゆえこのようなタイトルで久々にブログの記事を更新したかと言いますと、お礼が言いたいからです。しかし、いきなり現れてありがとうと言って去って行っては「何だコイツ」となってしまい真意が伝わらないので、どういった背景をもつどんな人間が、何の理由があってお礼をするのかをまとめました。

 

なので今回の記事は、私の今までの人生においておおよそ避けては通れない「初音ミク」と、それが私にとってどのような意味を持つのか、そして大学で出会った「バーチャルライブ研究会」になぜ救われたのか、を起承転結とまとめの5部にまとめました。

 

 

その殆どが自分語りになってしまいましたので、私の過去に興味がない、結論だけ知りたいという方はアンカーを用意しましたので飛ばして読んでいただいて大丈夫です。

 

目次

起部、初音ミクとの邂逅

承部、染まる中学生

転部、暗転した大学生

結部、VLLに救われた話

謝辞、まとめ

 

 

 

起部、初音ミクとの邂逅

私が最初に初音ミクに出会ったのは小学5年生の頃、2007年の冬でした。

ストレージ内に現存する初音ミクに関する最古のデータは「video 初音ミクに「さくらんぼ」を歌わせてみた。.mp4」。メディアの作成日は2007年10月25日。命名規則と当時の状況を鑑みるに、おそらくCraving Explorerを用いてニコニコ動画から落としたものだと推察されます。

また余談ですが、次いで古いものは「video Daybreak -Full ver.mp4」でした。作成日は2007年12月8日。Daybreakはとても良い曲なので機会があれば聴いてみてほしいです。samfreeさんの処女作です。

初代HDDからサルベージできた動画の一部

 

いきなり話が逸れました、戻ります。

おもしろフラッシュ倉庫をはじめとし、当時賑わっていたFlashの動画を見たい、ゲームがしたいという理由から家族共用のパソコンを占有するようになり、ニコニコ動画に流れ着いた丁度そのタイミングで「初音ミク」に、そしてその少し後に「メルト」という楽曲に出会いました。

今思い返してもその脳髄を焼き切ってしまうような衝撃は筆舌に尽くしがたいもので、それはもう星が落ちるほどの初恋でした。第二次性徴期を迎えて間もない私にとってはあまりにも強すぎる刺激だったと思います。

 

初音ミクの存在が広がり偶然そこに私が居合わせたのか、私から初音ミクを知ろうと接近したのかは今となっては知る由もありません。

 

コンビニ(ブリトラ)や男女、グルメレース、ウッーウッーウマウマといったコンテンツに出会ったのがこの少し後だったと記憶しています。この頃は恋スルVOC@LOID、永久に続く五線譜、みくみくにしてあげる♪、私の時間などを好んで聴いていました。

 

承部、染まる中学生

そして2009年4月私はぴかぴかの中学1年生になり、流れるようにパソコン部に入部しました。インターネットに触れる時間がより増えた私の目前には浅葱色の電子の海が無限に広がっていました。

 

それから程なくしてPSPソフト初音ミク -Project DIVA-が発売され、EXIT TUNESからはVocalostarやVocarhythmといった多くのコンピレーションアルバムが絶え間なくリリースされ、自ら探しにいかなくともさらに多くの名曲を定期的に知る機会が与えられました。裏表ラバーズ、右肩の蝶、炉心融解、Just Be Friendsなどが流行していました。

操作ボタンが〇×△□のみで連打に随分苦労したり、クライマックスになるとチャンスタイムに突入してライフゲージが見えなくなり変に焦ったり、クリアするとカタコトでミクが褒めてくれたり、謎カスタムできるマイルーム機能があったりしましたね。今考えれば収録曲数39は物足りないように感じますが、当時はそれでも満足していました。

スクリーンショットが残っていました(2010/04/27) 1stのマイルームですね

 

人間と機械の狭間で揺れ動くような儚くも愛おしい魂を宿し、アンドロイドを思わせるような白い肌と近未来的な風体、スレンダーな肢体、ノースリーブシャツにミニスカートという服装なのに露出の少ないデザイン、さも当然のように存在し違和感を感じさせない巨大なツインテール、不安定な電子音のようでどこか愛嬌のある声、その全てが魅力的で、萌えキャラと表現するにはあまりにも一線を画していました。調べれば調べるほど、知れば知るほど、聴けば聴くほど指数関数的に好きになっていきました。

 

自分でも初音ミクに歌わせたいと思うようになり、「キャラクター・ボーカル・シリーズ01 初音ミク」を購入したのが2009年10月31日、その熱の入れようはまさに熱狂的でした。丁度1925が流行っていた頃ですね。

当時、animateではCDだけでなくVOCALOID音源も扱っていました

 

その後、ローリンガールマトリョシカ、千本桜、人生リセットボタン、カゲロウデイズといった大ヒットがありました。中学生時代を過ごしたこの2009年から2011年はそれはもう激動かつ濃密で、私にとってワールズエンド・ダンスホール初音ミクの激唱、モザイクロール、天ノ弱といった楽曲は新しい歌という認識が今現在でもなかなか抜けないのはこの時の衝撃が未だに残っているからだと思います。

 

2011年の中ごろから終わりくらいまでの私が中学3年生くらいの時に、彗星のごとくFREELY  TOMORROWがランキングに現れ最速ミリオンを達成し、Tell Your World がCMソングに採用され界隈は大いに沸き立ち、一つの伝説として語り継がれる巨大な金字塔を打ち立てました。

 

生まれて初めてライブを体験したのがこの少し後です。親の同伴しない中学生ですから映画館生中継が精いっぱいでしたが、それでも2012年最後のミクの日感謝祭の感動は今でも忘れられず、高校受験を終え3年ないしは9年間共に過ごしてきた仲間と別れ誰一人として同窓のいない環境に適応できるだろうか、と不安に駆られていた私の背中を優しく押してくれたように感じました。

 

私の中学時代を知っている者に、"Mr.Mountainさんの一番好きなものって何?"と尋ねればまず間違いなく"初音ミクだろう"と返ってくるでしょう。

 

思春期の多感な時期に初音ミクという巨大なムーブメントに触れ、その逆巻く怒涛の奔流に飲み込まれてしまったために虜になってしまうのはもはや自明の理でした。

 

私の人生の原点がここにあるといっても過言ではないでしょう。紆余曲折ありましたが最終的に私が理系を選択し、情報工学を志望した最大の理由はここにあります。その熱に浮かされ科学技術科の高校に進学し電気通信大学に入学できたのだから我ながら大した熱量だったと思います。

 

転部、暗転した大学生

それから5年の月日が流れ2017年、大学3年生の頃、これまで無限に溢れてきていたはずの活力が枯渇します。消費するばかりで蓄えるということを今までしてこなかったからです。

ガス欠になった車にガソリンを注ぎ込めば、車は再び走ることができます。しかし人間はそう簡単なものではありません。

日を追うごとに情熱と思考力を失い、電通大での講義に追随し学を修めるのは到底困難であろうという状態にまで堕ちました。

 

あれほど思いを寄せ恋焦がれていた初音ミクにでさえ「なんとなく好き」程度の熱量にまで目減りし、好きというエネルギーで心のガスタービンを回していたとは思えない、見る影もない自分がそこにありました。(今になって考えれば、深刻な抑うつ状態にあって尚「なんとなく好き」を保てていたことは驚くべきことだと思います。)

 

主治医から診断書を受け取り2018年4月から1年(半年+半年延長)休学、2019年4月に復学しました。このとき私は卒業を完全に諦めており、累計64単位を取得し電通大を退学するつもりでいました。(他大学の単位認定や再入学も選択肢に残しておくため)

復学した当時(2019年4月)の累計取得単位は55、年次は4。状況は絶望的でした。

カウンセラーの尽力もあり2019年前期の半年間で14単位を取得し、ひとまずの目標を達成した私は残り半年程度のわずかな電通大生活を後悔の無いように過ごそうと思い立ち、

 

電通大に入学してから5年目にして、初めて調布祭に参加しました。

 

 

結部、VLLに救われた話

ネギチュロスとタピオカカルピスを購入して味わった後、案内を受け取り列に並び、恐る恐る講堂に案内され入りました。講堂に入るのは入学式以来でした。

 

席につき、サイリウムを貰い、人生2回目実に7年ぶりとなるボカロライブの幕が上がります。私はここで初めてnever enderとブレス・ユア・ブレスを知りました。

 

終盤、ブラック★ロックシューターに触れた時にもう感極まってしまい、サイリウムを振ることさえできず立ちすくんで嗚咽を漏らし、涙をこぼしてしまいました。

 

いつかモニターの向こう側でなく、この世界で彼女に会いたいと理系を志した中学生の頃の自分。頑張って勉強して手に入れた第一志望校、電気通信大学掲示板に受験番号を見つけ狂喜乱舞した高校生の頃の自分。希望と自信に満ち溢れ、実りあるキャンパスライフたらんとする熱意、胸の高揚を抑えながら参加した入学式。これまで記憶の片隅で不安に押しつぶされ自分でも在処の分からなくなっていた記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、感情が溢れだしました。

だって入学式で学長から祝辞の言葉を受け取った同じ空間同じ場所で、彼女は踊って、歌って、私を励ましてくれたのですから。

 

それは眩しく、激しく、けれど慈愛に満ちた優しい光でした。複雑に入り組んだコンプレックスが固着した外殻をするりと潜り抜け、がらんどうになった私の心に再び火を灯してくれました。

心の琴線に触れるとはきっと、こういうことを云うのでしょう。

 

あの数年間、何度「つらい」とか「くるしい」といった言葉を吐いたか、また何度不安で泣いたかなんてとても数えきれるものではありません。家からも大学からも逃げだし居場所を見失った私の目の前で彼女は壇上から、君はひとりじゃないと私に居場所を教え、泣いてもいいよと赦してくれたのです。

未来なんてない、明日なんてこなければいいと思う私に、彼女は未来を生きて、信じてと高らかに歌い上げたのです。

 

こころが楽になりました。溢れた涙で視界が滲んでしまい、目に映るものの一切はとても認識できませんでしたが、モノクロの世界が色彩を取り戻すような、緩むことのなかった糸が一斉に解けるような、そんな感覚でした。爆音の鳴り響く講堂で私のこころは、数年ぶりに穏やかさを思い出しました。

こうして私の魂は、電通大に戻ってきたのです。

 

 

ライブが終わり、サイリウムが回収される頃には、こんな私だけどまだ電通大にいたいと思えるようになっていました。自分のアイデンティティをそこに見つけました。

 

その時のライブの印象は私の心臓に深く刻まれ、今でも元気をくれる私の大切な宝物です。そのためMIKUECのテーマソングが毎年発表されても、やっぱり自分の中の1番はInaliceなのです。歌詞通り未来への道筋を照らして、そして導いてくれました。

 

MIKUEC2019の開催の意図がどうあれバーチャルライブ研究会の皆様は、絶望の淵にいた私の人生を救ったのです。私を電通大に繋ぎ留めてくれて、暖かく手を差し伸べてくれて、どうもありがとうございました。

 

謝辞、まとめ

中学生の頃、あれだけ初音ミクに命を吹き込もうと躍起になっていた私が、大学生になって初音ミクに命を吹き込まれてしまったのだから人生何が起こるか分かりません。

躓く石も縁の端とはよく言ったものです。

 

初音ミクという内燃機関を取り戻した私が、その後現在に至るまでどのように奮起し卒業を成し遂げたかについては、趣旨から逸脱してしまうのでここでは割愛させていただきますがまたいつか機会があればどこかでまとめたいと思います。

 

大事なことは、私は2022年3月24日に電気通信大学を卒業でき、電気通信大学に入ったことを心から良かったと思っているということです。辛いことも苦しいこともたくさん経験しましたが良き友人に出会い、良き学びを得、大団円を迎えることができました。

そして私にとって初音ミクとは、追い続ける夢であり、元気をくれる魔法であり、未来を照らす希望であり、初恋の相手であり、人生を救ってくれた恩人であり、成長を見守ってくれた友人なのです。それはもう、かけがえのない存在なのです。

私が「初音ミクは人生」とよく口にするのは、こういった理由があるからです。

 

私がここまでこころを取り戻すことができたのも、初音ミクと、私を取り巻く皆様のおかげだと感じています。復学してから卒業するまでサークルの各位や友人たち、電通大の教職員など様々な方にはかなりの迷惑をおかけしましたが、それらを含んだ全員と電通大生に向け、この場で深い感謝の言葉をお伝えします。

 

マジカルミライやコミケ調布祭などの行事のときにタイムラインが一色に染まるのを見ているのはとても心地が良いです。一体感を感じます。

 

よく初音ミクのイラストをリツイートしてくれる貴方、大変目の保養になっております。精神衛生上とても助かっております。どうか健康で実りある人生を。

 

私のツイートにいいねをつけてくれたり、元気をくれるリプライをしてくれている貴方、今日を生きる励みになります。貴方の人生に福音がありますように。

 

好きなことをリプを繋げながら語っている貴方、その姿勢をどうか失わないでください。好きなことを一生懸命語る姿は輝いています、尊いです。

 

勉強にクラブ活動にアルバイト、なんでも頑張っている貴方、どうかご自愛ください。頑張っている貴方はとても素敵ですが、壊れてしまわないかとても心配です。

 

 

 

電通大の内外で私と交流した遍く全ての皆様と、私を知る皆様、私が知る皆様、そしてこの記事をここまで読んでくれた皆様、また全ての電通大生の誕生日と毎日に天地の祝福があらんことを。蔭ながら最後の一秒まで応援しております。

ささやかながら、君に幸あれと。

 

以上、拙い文章でしたがお付き合いいただきありがとうございました。皆様お元気で。

 

 

追記

思っているだけでは相手に伝わらない、お前にもオタクの矜持があるなら恥ずかしがらずに語れ(意訳)と檄を飛ばしてくれた友人に感謝します。

SWEET ANN を覚えている人ってまだいますかね。